カテゴリー: 2-3 音楽、絵画、工芸ほか

瞬間瞬間の「私」があって、それはそれぞれ違った内容をもっているかもしれないけれども、そういった「私」と「私」とのあいだ、無数の「私」のそれぞれのあいだがずうっとつながっている、一貫性をもっている。……そういう意味の連続のことを自分という言葉で考えているのです。

木村 敏 (『自分ということ』文庫版116頁) 木村 敏…

ハイビジョンなんて、人間の目では見えないものまで見せるようになっています。そうして嘘に嘘をかためているから、世界そのものが人間に持っているインパクトをどんどん薄めて一六分の一になり、八かける八の六四分の一になり、ひどいことになっていると思います。

宮崎 駿 (『本へのとびら――岩波少年文庫を語る』新書1…

荒涼とした島にひとり取り残された人間は、自分だけのために自分の小屋も自分自身も飾ることをしないであろう。

イマヌエル・カント (『判断力批判』第41節より) 「美…

手仕事で作る実用品は祖先から代々受け継がれるという、しっかりした性格を持っている。風格といってもいい。その無駄のない、健康で雅な佇まいこそ、今でいうデザインの本当の姿ではないだろうか。

柚木沙弥郎 (『柚木沙弥郎 92年分の色とかたち』「年を…

その無音の沈黙の間は、実は、複雑な一音と拮抗する無数の音の犇めく間として認識されているのである。

武満 徹 (『音、沈黙と測りあえるほどに』196頁) 武…

偉大な傑作の、何もかいてない絹地の余白は、しばしば、描かれた部分そのものよりもいっそう意味にみちていることがある。

岡倉天心 (『東洋の理想』文庫版157頁) 岡倉天心(お…

思想ある風景

堀 文子 (『私流に現在(いま)を生きる』143頁) 堀…

何といふ静かさだ 音一つ

河井寛次郎 (『いのちの窓』9頁) 昨日に続き、河井寛次…

もの買って来る 自分買って来る

河井寛次郎 (『いのちの窓』46頁) 河井自身が註解をこ…

自然界には、人間が手で描くような線はありません。蜘蛛の巣でさえも人間の描いた線とはちがいます。アウトラインなど、自然にはない線を人間が描くとき、その線はものを識別し認識したことのあかしとなります。この考え方をおしすすめていくと、線とは、人間の頭がつくりあげる抽象図形の部品のようなものと考えたほうがいいでしょう。

安野光雅 (『絵の教室』95頁) 安野光雅(あんの みつ…

お許しください、陛下。私は下品な男です! しかし、私の音楽はそうではありません。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの台詞 (映画『…

料理をするということは自然に触れる、ということなんですよね。

土井善晴 (土井善晴・中島岳志『料理と利他』21頁) ど…

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