カテゴリー: 1 意味の生まれるとき(意識、感覚、感情)

青空は、肉眼で見ることの出来る永遠である。そういう意味で、それを形而上学的感覚といったのである。

西谷啓治 (随想「青天白雲」より/『京都哲学撰書 西谷啓…

〈現実(リアリティ)〉は粉塵の舞い上がる道路で見つかることも、街路に落ちている新聞の切れ端に見つかることも、陽を浴びたラッパスイセンに見つかることもあります。

ヴァージニア・ウルフ (『自分ひとりの部屋』文庫版189…

人間があたりまえと思っていることも、ほかの動物にとってあたりまえとはかぎらない。りんごを1個、2個、3個などとかぞえるのは、りんごを見る目やもちあげる手があるからで、それがなければ、りんごの「個数」に注意がむくこともないはずだ。

森田真生 (絵本『たくさんのふしぎ ありになった数学者』…

「数」や「図形」は、からだや星とちがって、この宇宙のどこを探してもない。3本のペンとか、3匹の羊ならあっても、「3そのもの」はどこにもない。「このあいだほんものの3を見てきたけど、思ったより小ぶりで青かった!」なんて話は聞いたことがないはずだ。

森田真生 (絵本『たくさんのふしぎ ありになった数学者』…

人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。

小川洋子 (小川洋子・河合隼雄『生きるとは、自分の物語を…

瞬間瞬間の「私」があって、それはそれぞれ違った内容をもっているかもしれないけれども、そういった「私」と「私」とのあいだ、無数の「私」のそれぞれのあいだがずうっとつながっている、一貫性をもっている。……そういう意味の連続のことを自分という言葉で考えているのです。

木村 敏 (『自分ということ』文庫版116頁) 木村 敏…

好きというだけで格別の知識はないから、頼りになるのは自分の目玉だけである。店に入る。あまり眼に力を入れないで、肩の力を抜いて、なるべくぼんやりとあたりを見廻す。そのとき、眼に飛び込んできたもの、眼があってしまったものの前に立ってみる。——いい。何が何だか判らないが、いい。

向田邦子 (『向田邦子 暮しの愉しみ』所収「眼があう」4…

(数学者は)一を仮定して、一というものは定義しない。一は何であるかという問題は取り扱わない。

岡 潔 (岡 潔・小林秀雄『人間の建設』文庫版103頁)…

荒涼とした島にひとり取り残された人間は、自分だけのために自分の小屋も自分自身も飾ることをしないであろう。

イマヌエル・カント (『判断力批判』第41節より) 「美…

その無音の沈黙の間は、実は、複雑な一音と拮抗する無数の音の犇めく間として認識されているのである。

武満 徹 (『音、沈黙と測りあえるほどに』196頁) 武…

考えるということは、むしろ深呼吸すること、あなたを取り囲む環境から力や発想を引き出すこと、驚くこと、思い出すこと、収集すること、整理することである。つまり待ち構えることである。句読点のある文章や休符のある音楽で記されるような、息を吸うことや小休止が、考えるということなのだ。

ティム・インゴルド (『ライフ・オブ・ラインズ 線の生態…

偉大な傑作の、何もかいてない絹地の余白は、しばしば、描かれた部分そのものよりもいっそう意味にみちていることがある。

岡倉天心 (『東洋の理想』文庫版157頁) 岡倉天心(お…

何といふ静かさだ 音一つ

河井寛次郎 (『いのちの窓』9頁) 昨日に続き、河井寛次…

風の色(かぜのいろ)

(日本語表現) 『日本国語大辞典』の見出し語(小見出し)…

年度初めの抱負や誰も読まない作文を書かせるような『手段の目的化』が横行している。他者に伝える意識がないものが学びになるはずがない。

工藤勇一さん (東大五月祭の教育フォーラムでの発言より …

ものには生の一面と、死の一面とがあります。いつかは必ず死ぬというのが死。他方、生まれたり滅したりしない、不生不滅というのが生です。……見ると必ず意識を通しますが、そのわかり方でわかるのは死だけです。

岡 潔 (森田真生編『数学する人生』文庫版56頁) 岡 …

見えるものは、目に見えないものの輪郭を描くためにあるにすぎない

ミヒャエル・エンデ (『ものがたりの余白』文庫版210頁…

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