ミヒャエル・エンデ

(『ものがたりの余白』文庫版210頁)

ギリシア神殿(特に初期のもの)では、柱のあいだの空間に注目するや、まるで別のものを見ることができるという。「なにもない虚無の空間の寸法が、神の住まいのそれ」であり、柱はその輪郭を描いているのだと。


さらにエンデは「粘土から壺を作る。しかし、壺の本質は(粘土が包む)虚無である」という古代中国の老子の考えに触れて、「物質的なものは、それを越えた、実は本質的なもののその外側を装っているにすぎない」と敷衍する。

エンデによれば、現代人が信じているような「身体がなくなれば、かれ自身もなくなってしまうのだというふうなアイデンティティ」は、西洋で合理主義とともに出てきた考えだ。意識を物質の深みまで降ろした合理主義によって今日的なテクノロジーも生まれた。ただ、エンデはそれを「徐々に死にゆくプロセス」と表現する(同書211-213頁)。

文献:『ものがたりの余白 エンデが最後に話したこと』 (岩波現代文庫 文芸 156)  – 2009/11/13(クリックでAmazonに移ります)