谷崎潤一郎

(『文章読本』文庫版104頁)

谷崎潤一郎(1886-1965)は小説家。東京・日本橋の商家の長男として生まれ(のち家業は失敗)、東京帝国大学在学中に和辻哲郎(のちの哲学・倫理学者)らと文学活動をして耽美的傾向の作品を発表。授業料未納で退学後まもなく新進作家として華やかにデビュー。いま出典を明記できないが、和辻は谷崎の文章上手さに自身は小説家になるのを諦めたという逸話があったように思う。

その谷崎が「自分の長年の経験から割り出し、文章を作るのに最も必要な、そうして現代の口語文に最も欠けている根本の事項のみを主にして、この読本を書いた」、「『われわれ日本人が日本語の文章を書く心得』を記した」と自身で前書きしているのが『文章読本』(1934年)である。

いろいろエッセンスの詰まった本で、上掲の「最適な言葉はただ一つしかない」というのはその一つにすぎない。

言葉には多くの同義語がある。「散歩する」という些細な一語でも、「散歩」「散策」「そぞろ歩き」「ぶらつき」等々ある。谷崎が言うには、「数箇の似た言葉がある場合に、孰(いず)れでも同じだとお思いになるのは、考え方が緻密でないのであります」。ある場合には「散歩」よりも「散策」が、ある場合には「そぞろ歩き」のほうが、一層適するはずで、「注意して思いを潜め、考えを凝らして御覧になると、必ず孰れか一つの言葉が、他の言葉よりも適切であることがお分かりになります」と断言する(104-105頁)。

それなら、ある一つの場合に、ある一つの言葉が他の言葉よりも適切であると何によって定めるかというと「これがむずかしい」。

「単に意味が正確であるとか、思想にぴったり当て嵌(は)まるとか云うことばかりで極(き)めるわけには行きません。或る場合には、思想の方を言葉に当て嵌めて纏(まと)まりをつけるのが賢いこともありましょうし、或る場合には、言葉に使役され過ぎて思想が歪曲されないように警戒しなければなりません。結局、言葉はその一箇所だけでなく、文章全体に影響を及ぼすものでありますから、絶えず全体との釣合(つりあい)、調和不調和を考え、……六つの要素、即ち、用語、調子、文体、体裁、品格、含蓄、の総てを計算に入れた上で、適不適を極めるのであります」(107頁)。

一例として、谷崎は志賀直哉の短編「万暦赤絵」の冒頭の一文

「京都の博物館に一対になった万暦の結構な花瓶がある……」

をあげ、その「結構な」という形容詞について、こう評している。

「この場合、この花瓶を褒めるのに、『見事な』『立派な』『芸術的な』等種々の言葉がありましょうけれども、それらの孰れを嵌めてみましても、到底『結構な』と云う一語が含む幅や厚みには及ぶべくもありません。この語はその花瓶の美しさを適確に云い現わしていると同時に、全篇の内容や趣向をも暗示するほどのひろがりを持ち、まことによく働いているのでありまして、こう云う簡単な言葉使いに、手腕が窺われるのであります」(107-108頁)。

※引用にあたっては、旧字体と繰り返し記号を改めている。

文献:『文章読本』(中公文庫 た 30-28) – 1996/2/18(クリックでAmazonに移ります)