ラビンドラナート・タゴール

(詩集『迷い鳥たち』内山真理子訳、75頁)

以前にも一句引いたことのあるタゴールの詩集から。詩の解説ではないが(それは不要だろう)、「供花」ということをなぜ人はするのだろうと、折々に思う。似たところで、折り鶴もそうだ。

私事であるが、ある夏のこと、当時の職場近くの区役所に何かの手続きに行くと、原爆の絵の企画展示スペースがあり、折り鶴を折るコーナーが付設してあった。昼休憩でまだ時間があった。何とはなしに立ち寄って、絵を見てから折り紙をとって折り始めた。折り始めると、何のためでもないことに気づいた。相手は無いのだった。きれいに折ろう思うことも、その必要もない、ただ指先に集中し、何も無いところへ向けて、一羽を作った。折り鶴というのは、それ自体が祈りなのだと、その時はじめて知った。

文献:『迷い鳥たち』単行本 – 2008/11/1(クリックでAmazonに移ります)