イマヌエル・カント

(『判断力批判』第41節より)

「美しいものが経験的に関心をひくのは、ただ社会、、のうちだけである」ことを説明するくだりで出されている喩えである。こう続く。

「あるいは自分を飾るために花を探したり、まして花を植えたりすることもないであろう。むしろ、ただ社会のうちでのみ、そのひとは、たんに人間であるだけでなく、それぞれ自分の流儀にしたがって一人の洗練された人間になろうと思いつくのである。……ひとはある対象についての満足を他の人々とともに感じることができなければ、その対象に満足することはない」(上掲書 同節、太字の強調は引用者による)。

イマヌエル・カント(Immanuel Kant 1724-1804)は、西欧近世の代表的哲学者の一人で、現代に至るまで大きな影響力を保っている。人間がどう世界を理解し、どう共に生きるべきかを問い続けたその哲学は、極めて抽象度が高く難解で知られるけれども、実際には著作のところどころに、具体的で生き生きとした身近な喩えが見られる。

上掲の言葉は、実はハンナ・アーレントが1970年秋学期にカント哲学を政治哲学として解説した講義で引いているものでもある(アーレント著、仲正昌樹訳『完訳 カント政治哲学講義録』明月堂書店、2009年、124頁)。

カントはこの引用箇所の前節(第40節)で、「趣味」(=美を判断する能力)を、自らの感情(=快・不快の感覚)の(概念を介さない)伝達可能性を判定する能力としても規定し、さらに美的対象への人々の関心がどのように引き起こされるかを論じる。アーレントは次のように解説して上掲の箇所を引いている。

「カントは非常に早くから、最も私的(private)で主観的な感覚のように見えるものの内にも、非主観的なものがあるということに気づいていました。……最終的には、最も徹底した言い方として、『趣味においてエゴイズムが克服される』とさえ言っています」(同上124-125頁、太字は引用者による、なお「趣味においてエゴイズムが克服される」というカントからの引用の出典は不明)。

今は詳説を省くが、感情(快・不快の感覚)の伝達可能性を判定できるのは「共通感覚」があるからであり、カントのこの「趣味」の議論でも、アーレントによる解説でも、「共通感覚」がキーコンセプトになっている。

文献:『カント全集 第八巻(判断力批判 上)』(牧野英二訳)※ただし訳文の一部はアーレント/仲正訳『完訳 カント政治哲学講義録』を参照した。